映画「ひとくず」
やけに昭和感のある映画をなんとなく見始めたら、全然知らない役者さんだらけ。
なのに途中でやめられず、最後には泣かされてしまいました。
この映画「ひとくず」の主演の上西雄大さんはなんと主演、監督、脚本、プロデュースを務めたそうです。
一体何者?こんな俳優さん見た事ないなあ?と思い調べてみました。
プロフィール
俳優、映画監督、脚本家、映画監督、劇団「10ANTS(テンアンツ)」代表。
<受賞歴>
- 「姉妹」ミラノ国際フィルムメイカー映画祭で外国語短編部門グランプリ
- 「ひとくず」ミラノ国際映画祭で最優秀作品賞。他受賞多数。
- 「西成ゴローの四億円死闘編」 ロンドンフィルムメイカー国際映画祭で最優秀作品賞と最優秀主演男優賞。
生い立ち
大阪・十三で育った上西監督は両親が不仲で父親が母親に手をあげて揉めているような環境にいて、3歳まで戸籍もなかったそうです。そんななか、可愛がってくれた母方のおばあちゃんに助けを求めると食べきれないくらいのお弁当を持って来て、一緒に映画館に行っていたそうです。
小さい頃の上西監督にとっては映画館は特別な空間。嫌なことがあってもスクリーンに集中することで現実から離れることができたのでしょう。その結果、子供ながらにあらゆる学びを得ることができたそうです。
ブルース・リーや松田優作などのように映画の中に行きたいと憧れを抱いていたようです。
その頃の出来事が映画「ひとくず」へと繋がっていきます。
経歴
なんと上西監督が役者の道に進んだのは40歳を過ぎてからです。
それまでの経歴は・・・
- 高校を卒業後、ブティックの店員。店長→部長。
- 独立して婦人服メーカを経営。韓国でも事業をするもダメになる。
- 兵庫の明石市で焼鳥屋でそこそこ上手くいく。
- 実家である大阪・十三の焼肉屋をすることになる。(焼鳥屋はやめる。40歳を過ぎている。)
- なぜか知り合いの関係で芸能事務所を任される。
役者の道へ
40歳過ぎて、芸能事務所を任された上西監督は未経験ながらも任されたからにはちゃんとしなくてはと所属する役者が活躍できるように舞台を企画して、自分で脚本を書いたりします。
この時に子供の頃、夢中で見ていた映画の経験からスラスラと脚本を書けたそうです。
しかし実際やるとなると今度は役者が足りない。
人数合わせのためにご自身も出演するようになっていきました。
さすがに未経験では上手くいかないこともあり、劇団芝居小舎の芝本正先生に師事し、そこから本格的に役者としてスタートします。
その後、劇団も立ち上げ、映画も撮っていくという流れになっていきます。
結婚はしてる?
特に情報がないので独身だと思われます。
まとめ
40歳過ぎてからの役者への転身は驚きましたね。なかなかできることではないです。さらに俳優、映画監督、脚本家、映画監督と全部やってしまう上に劇団まで立ち上げています。とてもパワフルですね。
受賞歴もたくさんあり、才能があれば年齢は関係ないんだとつくづく思います。
「ひとくず」も今だに映画館で上映すると満席になるようです。
現在も精力的に活動してらっしゃるようなので今後も楽しみです。